盗まれた観音様

盗まれた観音様・第9回(平成10年8月掲載)

盗まれた観音様のモノクロのイラスト

 江戸時代も終わりの頃のことです。六月十七日の深夜、円通寺に泥棒がしのび込み、御本尊の観音様を盗み出しました。
 ところが不思議なことに、逃げる途中で背中の観音様が、だんだん重たくなってくるではありませんか。
 余りの重さに泥棒は、とうとう歩けなくなってしまい、ペタリと尻餅をついてしまいました。
 神罰が当たったのかと後悔はしたものの、盗んだ手前いまさら返しに行くわけにもいきません。
 ずい分長いこと思案したものの、名案も浮かびません。罪を恐れずとはこんなことでしょう。どうしようもなくなって、あろうことか観音様をお宮近くの池に投げ捨ててしまったのです。
 一夜が明けて翌日のことです。一人のお百姓さんがいつものように、野良仕事に行く道すがら、池の中から後光が昇っていることに気がつきました。「これはまた何とした事か」と不思議に思い、恐る恐る池の中をのぞいて見て、ビックリ仰天です。池の底に一体の観音様が沈んでいて、光を発しているではありませんか。
 そのお百姓さんは転がるように走って村へ戻り、事の次第を村の衆に話して聞かせ、人手を集めて再び池へと戻ります。
 村の衆は力を合わせて、観音様を池の底から引き上げました。丁寧に洗い清めて見ると、円通寺の御本尊だと分かり、寺へと運ばれてやっと元の場所に安置されました。
 このような事件が起きたことをきっかけに川瀬村では、六月十七日を「お観音さん夜渡」として、夏祭りの日と決めたと伝えられています。

解説

 承平元年(西暦931)、空也上人が広川の地へ来たりて、川瀬の救世堂に宿し、五尺八寸の弥陀像を刻して安置。救世堂を広隆寺と改名する(「川瀬観音の由来」)というのが、円通寺のルーツと考えられます。また円通寺という寺名は、「寛文十年久留米藩寺社開基」では、天正八年(1580)に金龍とういう出家が開元するとあります。広隆寺→口龍寺→光龍寺→龍光寺→龍口寺といった地名の転訛もうかがえます。

広川町郷土史研究会

  •  文・岳野 住人
  •  画・梅本 光男

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