人形原の地名の由来

人形原の地名の由来・第1回(平成9年12月掲載)

人形とカラスと山のモノクロのイラスト

 昔むかしの大昔のこと。高良大明神という神様は、これから住む場所を探して、筑後地方のあちらこちらと回っておられました。大川の港(現在の大川市)から上陸して、瀬高(現在の瀬高町)のイチガウラという場所にたどり着かれました。
 そこからはるかに北の方角を眺めておられますと、遠くの丘の上に何やら敵らしき人影が見えるではありませんか。
 神様は、自分がこれから進んで行こうとするのを、じゃましようとしているのではないかと驚ろかれ、さっそく見張りのカラスを飛ばして調べさせました。
 ほどなくしてもどって来たカラスが、「あれは敵ではなく、人形(ひとかた)ですよ」と、報告しましたので、神様は安心して北へ向かって進んで行かれました。
 石人や石馬の並んだ八女の丘を越えて、久留米の高良山にお着きになられ、そこを住居と定められました。このことから人形原(ひとかたばる)という地名が起きたのです。

解説

 『高良玉垂宮神秘書』に、遙ニシテ人アマタミエタリ、ミサキ烏ヲツカハシテミセシム、行テ彼人ニハム…と記されています。
 稲員孫右衛門安則の著す『家勤記得集』にも、石人石馬が並んでいることから人形原という、と記しています。彼は高良社の神管頭職であり、秘伝の巻物なども見ることができる立場にありました。『家勤記得集』の記述の素地も『神秘書』にあったと考えられます。
 石人山古墳の所在地は、現在も人形原が地名です。

広川町郷土史研究会

  •  文・岳野 住人
  •  画・梅本 光男

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