昭和50年
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- 工場立地法の指定を受ける。(昭和50年3月31日)
- 広川町、合併20周年を記念して「広川音頭」の歌詞を公募し、竜 英二(筑後市在住)作の歌詞が採用される。(昭和50年7月)
- 広川町「非核武装の町」を宣言する。(昭和50年7月)
- 広川町鶴寿奨学会を発足。基金2000万円(昭和50年9月)
- 広川町都市計画区域に指定される。(昭和50年9月1日)
- 広川町、合併20周年記念式典を行う。席上、太田区出身の鶴真吾氏(東京在住)に特別功労者として名誉町民の称号が贈られる。(昭和50年10月9日)
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昭和51年
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- 中広川小学校の校舎改築(昭和51年4月)
- 第1回広川まつりが開催される。(昭和51年9月5日)
- 第7回広川町長選挙にて高鍋一生氏が当選。(昭和51年11月)
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昭和52年
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- 広川町、「飲酒運転追放の町」を宣言する。(昭和52年3月26日)
- 下広川小学校特別教室を増築する。(昭和42年12月)
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昭和53年
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- 川瀬区より川瀬北区が分区する。(昭和53年4月)
- 当条、赤坂橋が竣工する。(昭和53年7月)
- 広川町土地開発公社を設立する。(昭和53年9月)
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昭和54年
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- 広川町町民研修センターが竣工する。(昭和54年4月)
- 川瀬北区より緑ヶ丘区が分区する。(昭和54年11月)
- 八女西部火葬場東原園建設(昭和54年11月)
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昭和55年
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- 中広川小学校を改築・上広川小学校屋内運動場を整備(昭和55年2月)
- 広川町農協野菜集荷場および梨出荷場を完成(昭和55年3月)
- 広川町健康づくり推進協議会を発足する。(昭和55年4月)
- 広川町中学校柔・剣道および町民体育館が竣工する。(昭和55年6月)
- 広川町「暴走族追放の町」を宣言する。(昭和55年6月26日)
- 広川中核工業団地工事が着工される。(昭和55年12月)
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昭和56年
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- 扇島区「篠原橋」が竣工する。(昭和56年2月1日)
- 小・中学校において、米飯給食が始まる。(昭和56年6月)
- 広川町商工会主催で「第1回産業まつり」が開催される。第2回目から「広川まつり」と位置付けて開催される。(昭和56年11月22日)
- 第9回広川町長選挙にて主計貞二氏が当選(昭和56年11月)
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昭和57年
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- 広川町、「粗暴運転めいわく交通追放の町」を宣言する。(昭和57年6月28日)
- 第2回ひろかわ祭りが開催される。(昭和57年9月)
- 青少年育成町民会議を結成する。(昭和57年11月)
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昭和58年
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- 第10回広川町長選挙にて末安良行氏が当選(昭和58年5月)
- 広川球場が完成し、8月から使用を開始する。(昭和58年7月)
- 町の木に「イチョウ」町の花に「キク」が制定される。(昭和58年9月16日)
- 広川町議会、「交通事故抑止の町」を決議する。(昭和58年12月27日)
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昭和59年
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- 広川町、「非核・恒久平和の町」を宣言する。(昭和59年6月27日)
- 古賀「古賀橋」が竣工する。(昭和59年8月25日)
- 久泉区、綾戸ヒサさん、広川町初の100歳高齢者となる。(昭和59年9月)
- 2市5町で、久留米鳥栖テクノポリスの指定を受ける。(昭和59年9月17日)
- 広川中核工業団地の公募を開始する。(昭和59年9月20日)
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