○行政区運営指導基準

昭和54年11月15日

1 行政区組織の変遷

行政区というものは、その地域での社会生活の必要性から自然発生したもので、以前から存在していたものであるが、「隣組、行政区」として明確な形をとるようになったのは昭和になってからである。これは国家体制上の必要性から設置されたもので活発な活動をして来たが、主として上意下達の組織として形成されたものであった。そのため、そもそも自覚した個人の自由な自我を前提にした地域社会ではなく、また脱退も加入も自由な組織ではなかった。昭和22年に至り、当時の占領軍の占領政策の一環として、これ等の組織団体に対する廃止措置がとられ、また当時自治庁通達でも同じ趣旨のものを全国に周知されたが、その後時の経過に伴って再び組織化が行われ始めた。この再組織化の性格は、一般的には行政上の指導勧奨等によってなされたのではなく、あくまでも自主的、民主的に組織化された団体であり、町の下部機構でも末端行政機構でもないという事が原則とされている。

2 設置の意義

区は、その地区の住民の地域的連帯の上に築きあげられる町民と町民との接触、対話、生活の場所としての意味を持ち、近隣互助尊重の精神と祭礼、自警消防、防犯といった、その地域社会における社会慣習を土台として民主的なコミュニティー形成に役立とうとするものである。

3 運営の態様

通常行政区の運営のために、区長、隣組長が置かれ、その他地域の実情に応じて区長の補佐役、運営委員、評議員、顧問等の役員が置かれている。また、神社のある所は、宮総代、農業地域では実行組合長、商工業地域では商工団体役員等地域生活と密着した組織と役員が置かれ、それは行政区の運営と密接なつながりを持っている。これらの役員は、投票等による選挙あるいは輪番制等により選任され、評議の決定については、区住民の総意を原則として、民主的な運営がなされている。また、この住民組織は、日常生活と直結して強い結合力を持っているのが特徴である。

4 望ましい今後のあり方

前述したように戦時下におかれた行政区、隣組は、いわば一方通行の行政の補助組織であった。しかし新しいコミュニティー組織としての行政区は、連帯して住みよい地域社会を形成しようとする町民集団でなければならないし、また地域の行政に町民が主体的に参加する組織である必要がある。更に、特に望むべきことは、町民としての権利も主張するが義務も履行する創造的な地域集団でなければならない。このように行政区の組織を町の末端行政機構と解すべきではないが、行政の立場からすれば、町民との対話の場所として欠くことのできない重要な意義をもっている。町民各個人が個々に行政当局と接触するのではなく、地域社会の福祉向上発展を図るため、一定地域の町民が連帯共同してその生活上の要求を当局に要請する場所となるわけであり、また行政当局としては、その施策の適否についての町民の意向をくみ上げる場所として必要である。行政への住民参加は、時代の要請するところでもあり、積極的にその場を作ることに努めなければならない。

したがって、今後ともこの住民組織を育成していく必要があり、また自治組織としての自主性は尊重されなければならない。

5 分区問題の取扱いについて

近年、町内の各地に住宅団地が建設され、既存の住民組織とは異なる意識をもった地域集団が形式されつつある。これらの地区の住民は、一般的には住民組織としての結合の度合も既存のものに比べて弱く、また既存の組織とは遊離する傾向があり、その行政区から分離して新しい行政区を設けようとする動きがある。行政区という組織が、もともと町の末端行政機構ではなく、あくまで行政区域住民の自由意志により設けられら自治組織であるから、このような問題について行政の立場から法的に干渉の権限はないものである。したがって、区住民の総意に基づき、住宅団地等で新しく一つの住民組織(行政区)を設置することについては、原則として認められるべきものであろう。しかしながら、単なる地域エゴや住民感情等で既存の行政区から分離することを放置すると、行政執行上好ましくない結果を生ずる恐れがあるので行政の立場からは地域の実情を調査勘案し、適切な行政指導を行うために「行政区に関する取扱要領」を定める。

行政区運営指導基準

昭和54年11月15日 種別なし

(昭和54年11月15日施行)

体系情報
第3編 執行機関/第1章 長/第1節 事務分掌
沿革情報
昭和54年11月15日 種別なし