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池の主になった銅鐘(かね)

更新日:2005年7月1日このページを印刷する

 池の主になった銅鐘(かね)

 

池の主になった銅鐘(かね)

 天津池の大きさは昔から、幅二十六間・長さ九十六間あって、その底は竜宮城まで続いていると言い伝えられてきました。
  世は天正のころ、戦乱に明け暮れていた時代のことです。牟礼村にあった大聖寺という禅寺の銅鐘(かね)を、盗賊が盗み取って運んでいました。その鐘が余りにも重たいので、この池のそばで横に置いてひと休みしていました。ところが疲れが出て、ついうとうとと眠りこんでしまったのです。
  やがていつとはなく池の中から、鐘の音が聞こえてきました。不思議なことに盗賊の横に置かれた鐘も、その鐘の音に鳴動し始めたではありませんか。ついにはゴロゴロと転がって、自分から池に飛び込んでしまったのです。鐘は大きな泡(あぶく)を残して水底に沈みました。
  盗賊は眠りからさめるとビックリ。横に置いておいたはずの銅鐘がありません。眠っている間にいったい何が起こって、なぜ鐘がなくなってしまったのか、どう考えても分かりませんでした。
  沈んだ銅鐘は、水底にあると伝えられている神殿に祀られていて、雨乞いの祈願をすれば殊のほかに霊験があると、いまなお固く信じられています。

 

 

<解説>
   この池に祀られている神社は天津池社で、御祭神は高オ神(タカオカミ)・罔象女命(ミズハノメノミコト)・埴安神(ハニヤスカミ)の三神です。江戸時代には金山彦命(カナヤマヒコノミコト)・罔象女命(ミズハノメノミコト)・埴安神(ハニヤスカミ)でした。この三神は記紀神話(ききしんわ)にある神々で、金気・水気・土気を司るいわゆる天津神です。この天津神を祀ることから天津池と呼ばれるわけです。天保十五年(1844)の記録には、鏡池宮(かがみいけぐう)と称し奉るとあり、鏡池とも呼ばれていたことが分かります。
  明治時代の始めに現在の御祭神となりましたが、金山彦命と代わった高オ神「日本書紀」に出る龍神で、レイ(しずくのこと)をもたらす神とされ、やはり天津神の中の一柱です。
  鐘や鏡は、雨乞い信仰と深い関係にあることは広く知られているところです。雨を祈れば必ず験ありとされる場所(池や井戸など)には、鐘や鏡が沈んでいたり埋まっていたりと言う伝承が、必ずと言ってよく残されているものです。

 広川町郷土史研究会

 文・岳野 住人  画・梅本 光男

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