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百堂山の地名由来

更新日:2005年7月1日このページを印刷する

 百堂山の地名由来●第13回(98年12月掲載)

 

百堂山の地名由来

 曽我十郎祐成には大磯に、虎御前と言う名の想い人がありました。兄弟が首尾よく亡父の仇討ちを果たした後、虎御前は貞節を守って十九歳で出家しました。兄弟の霊を弔いながら諸国を回って、供養のために百堂を建立したと言います。
 百堂山もその一つで、虎御前が一堂を建てた場所と言うことから、この地名が起こったと言われます。

 

 

 

 

<解説>
 建久四年(1193)五月二十八日富士巻狩りの野営地で、曽我十郎祐成と五郎時致の兄弟はそれまでの十八年の苦難に耐え、亡父河津三郎祐道の仇敵・工藤一ろう祐経を襲って殺害しました。これが曽我兄弟の仇討事件です。
 この話は御霊信仰と結びついて、「曽我物語」がでます。これを唱導する"曽我語り"も生まれてきますし、"虎女"と言う名前の語り女がいたとも伝えられます。虎御前が実在の人物かどうかは定かではありませんが、"曽我語り"の唱導を媒介として全国に伝播したことは確かです。
 その結果、全国的に曽我兄弟の供養墓が生まれ、虎石・虎御前森・百堂・百堂塚などの地名が起きました。下広川の百堂山という地名も、そのような故事に因むものです。
 百堂山は現在、雇用促進住宅が建てられている場所辺り(字地名は熊ノ前)に、うす気味悪い程に樹木が繁った小高い山でした。
 頂上部には古墳もあって、ヤマモモの大木が立っていました。筆者らが子どものころには、夕暮れ時には通るのも恐ろしかった記憶が残っています。
 昭和四十年代に削平されて、現在ではご覧のように明るい場所に変わって、昔日の面影は全くありません。
 百堂山と言う小高い山があったことも、そのうちに忘れ去られることがあるかも知れませんが、私たちの住む町にも曽我兄弟の話に絡む伝承があったことだけは、語り継いでいきたいものです。

 広川町郷土史研究会

 文・岳野 住人 画・梅本 光男

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