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東福寺と十三塚

更新日:2005年7月1日このページを印刷する

 東福寺と十三塚●第12回(98年11月掲載)

 

東福寺と十三塚

 その昔、長延村の北の山に東福寺と言う禅院がありました。その僧坊には習書の子どもが、十三人ありました。
 たまたま暇な時に遊戯が過ぎて、一羽の雀の雛を奪い取ろうと争いになりました。遂には刀を持ち出しての喧嘩となり、十三人ともに傷ついて死んでしまいました。
 寺の和尚さんはこれを不憫に思い、死骸を丁重に埋葬しました。その墳墓が十三塚だと言われます。
 今日でもこの辺一帯には、雀が絶えていないと言います。もし、ちょくちょく雀が飛んで来て鳴くようになると、この辺りに住む幼児に凶災がふりかかるとも言われます。

 

 

 

<解説>
 広川町には長延地区に二カ所と、梯地区・智徳地区とに十三塚伝説が残っています。
 十三塚とは、村境や丘陵上、あるいは住環沿いに十三個の土壇が築かれたもので、方向性が整然とした列塚となったものが一般的です。これには必ずと言って良く、口碑伝説が付会されています。例えば大将と十二人の従者であるとか、お姫様と十二人の侍女であると言った類が、全国的にみると一般的です。
 広川町の十三塚は、山寺と和尚さんと十三人の子どもの話であり、珍らしい類例と言えます。十三塚は全国にわたって分布していますが、関東地方の一都六県と愛知・福岡・熊本に高い分布が見られます。塚中に遺物が無いのも特色で、何を目的として造塚されたのかは、科学的には未だ解明されていません。民俗学上の興味津々たる課題の一つです。
 いわゆる古墳と違って、その墳丘は極めて小さいために削平されたものが多く、現存する遺構が少ないのが残念です。
 広川町の十三塚伝説を伝える文献には、「筑後志」・「筑後国里人談」・「筑後秘鑑」等があり、それぞれに内容の若干違いが見られます。今回の紹介の分は、「筑後志」に収録されている内容で、他についても順次ご紹介していく予定です。
 いずれにせよ十三塚は仏教をはじめとして、道教や修験道との絡みをぬきにしては考えられないことだけは確かと言えるでしょう。

 広川町郷土史研究会

 文・岳野 住人 画・梅本 光男

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