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足形堀と大人(ううひと)の足跡

更新日:2005年7月1日このページを印刷する

 足形堀と大人(ううひと)の足跡●第10回(98年9月掲載)

 

足形堀と大人(ううひと)の足跡

 むかしから田んぼの中に、足の形をした細長い堀があります。村人はその形から足形堀と呼んできました。
 その足形は、久留米の方を向いた左足で、右足の一方は久泉村にあり、もう一方は藤山村にあると言い、一歩前の左足は吉田村に残っていると伝えられてきました。いつごろにできたものかはよく分かりませんが、大昔にとてつもない巨人が歩いた足跡だといわれています。

 

 

 

 

 

<解説>
 この類の地名は各地に点在しています。広川町では、久泉村と太原村に残っています。久泉村の場合は「足形」と呼ばれ、「寺社并古城古墳等書付」(寛永二年(1749)十二月、久泉村庄屋宗次郎が藩庁へ書上)に、畠之中に御座候、但大岸田と申所に長三間半・横二間程に、足の形之如く窪御座候、俗説に大人之足跡と申傳候、と記されています。太原村のものは「筑後秘鑑」に「大人の足跡」とあり、昔より所々に大人の足跡と云へる所諸州にあり、と記されています。
 三潴町では「巨人(ううひと)ん足形」と呼ばれて、昔巨人が大川の方から荒木の方へ通った時の足形で、右足が土甲呂(ところ)にあり、野屋敷に左足、五俣付近に右足跡が残っていました。久留米の津福には「足形」が、一丁田付近には「足形池」があります。さらには「馬蹄石」や「馬蹄跡」といったものも同類の地名と言えるでしょう。
 古来わが国の昔話の中では、「ダイダラボッチ」という名の巨童が出てきます。そのような話が下地にあるのは間違いないでしょうが、私たちの周りの巨人伝説は少し様子が違うようです。足跡はすべて久留米方面(高良山と言っても良い)を向いているのです。
 これは高良大明神の神歩きの伝説ではないかと考えます。神様の歩く様子は、私たちの目では見えません。足形だけが残って、それと分かるのです。神様は夜に歩いて来られるとも言い、祭礼日の目印が御神灯だとも聞きますし、ヨド祭りに「夜渡(よど)」と字を当てるのも、そのためだとの説も根強いものがあります。

 広川町郷土史研究会

 文・岳野 住人 画・梅本 光男

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